ocearnpict


旧・琉球レキオ・ラテン村


沖縄レキオ・チャンプルー村プロジェクトとは?

『沖縄レキオ・チャンプルー村プロジェクト』・・それは沖縄に、中南米カリブ文化と沖縄・琉球を軸にした太平洋アジア文化のカルチャー・エリアを造ろうというものです。

「沖縄レキオ・チャンプルー村」はテーマパークやモールではなく、商い、アート、体験学習などのコラボレーションを通じて、訪れる人々が文化を「食べる、遊ぶ、楽しみながら学べる」参加型・カルチャーコミュニティです。そこには食文化があり、音楽や踊りがあり、アートやスポーツがあり、異文化体験があり、生きた多言語空間がある。 

「沖縄レキオチャンプルー村」では伝統的なものから革新的なものまで幅広く中南米カリブ文化に触れていくことができます。私達が創る「沖縄レキオ・チャンプルー村」は、さらにこれらの文化と太平洋アジア文化を融合させ、文化創造基地として世界にチャンプルーカルチャーを発信していきます。

 

なぜ沖縄で「中南米カリブ」と「太平洋アジア」のチャンプルーなのか?

1. 琉球・沖縄の歴史的背景

かつて琉球王国であった琉球諸島は、東アジア海域の中央に位置し、古来から大交易網をもった貿易立国として中国、朝鮮、東南アジア、ポリネシア地域などと交流・交易を重ね栄えてきました。鎖国時代も、日本が独特の大和文化を成熟させる中、琉球は幕藩体制に編入された後も引き続き交易を継続させ、異文化を巧みに取り入れることで独自の文化を発展させてきたのです。

19世紀の後期からはハワイやポリネシアへの移民が盛んに行われ、特に南米移民は戦後の米国統治時代まで続けられました。たくさんのウチナーンチュがぺルー、ブラジル、ボリビア、アルゼンチン、メキシコ、キューバなどのラテンアメリカに渡り、3世4世が中心になった現在でも故郷との繋がりやルーツを大切にしながら、移民国に適応し貢献しています。

又、オキナワは第2次大戦後の1945〜72年の日本復帰まで米統治下のもとに日本で唯一、植民地的な状況下で異文化共生を経験してきた場所です。

国境を越えて人々の交流がさかんになるにつれ、異文化への関心、多文化共生の大切さ、ボーダーレスな人材育成の重要度は高まりつつあります。又、外交だけでなく国内におけるマイノリティー(在日コリアン、日系南米人、アメラジアン、アイヌ人、沖縄/琉球人など)の地位の向上を求める動きも活発になっています。これも文化や民族の多様性が社会に豊かさをもたらすという認識が高まったからではないでしょうか。国際・国内の交流事業に関しても個人、NPO、企業、自治体、教育機関等と多様な形での交流が盛んになっているのは、時流に求められていると言えるでしょう。

そんな中にあって、私達は沖縄ほど国際交流の起点としてふさわしいところはないと考えました。琉球・沖縄のほかにない歴史経緯、社会的位置を財産とし、これらを活用させていこうというのが「沖縄レキオ・チャンプルー村」の背景です。

2. 沖縄の「ラテン度数」

「レキオ・チャンプルー村」へのひらめきは、こういった歴史・社会的背景以前にもともと沖縄とカリブ・中南米がもつ共通点にルーツをなしています。亜熱帯地方特有の温暖な気候、豊かな自然、南国気質や人生観、他民族/文化による支配という共通の体験など、沖縄と中南米は重なるところが多くあります。そして日系南米人の多くを占めるオキナワン・ラティーノの存在も、沖縄と南米をむすびつける大きな要素です。これらを合わせてみると、沖縄の持つ「ラテン的要素」とラテンアメリカは共鳴しあい、沖縄のラテン度数をさらに高くしているのです。

3. 多様なアジア移民の存在と接点

約100年前から始まった移民事業により、日本政府は多くの日本人を移民として中南米各地に送り出してきました。それぞれの場所で苦難の中、社会的な地位を築いてきた日系移民たちですが、80年代になると今度は日本への大規模な出稼ぎがはじまりました。現在でも出稼ぎは続いており、在日日系ラティーノの数は現在27万人を超え、長期就労から定住者へ希望する人達も増えています。日系人が日本にUターンする中でどう新アイデンティティーを確立していくのか、共存はもちろんのこと、彼等だからこそ出来る日本社会への貢献を考える時期にきているといえるでしょう。

私たちは、南米に日系以外の韓国系、中国系を初めとするアジア系移民が多く存在することにも注目しています。最近では移民国でも出身国を越え、同じアジア系南米移民として横の繋がりを持とうという動きもでてきています。例えば、日系人の人口が世界一であるブラジル・サンパウロの市議、ウィリアム・ウー氏は戦前の日本語教育を受けた台湾人の父親と東京育ちの日本人の母親との間に、ブラジルで生まれました。奥様は韓国・ソウル出身、まるで彼の存在自体がアジア系南米移民を象徴しているかのようです。

日系ラティーノの特性をいかした社会貢献や、同じ「南米移民」ということで生まれるアジア人の連帯、これらを発展させていくのにふさわしい場所が「沖縄レキオ・チャンプルー村」です。「移民」としての経験や得たものをマルティリンガル・マルティカルチャーの土壌作りに役立てて日本の国際化を促進させていく。それが出来るのが「沖縄レキオ・チャンプルー村」なのです。

基地返還跡地にも最適

日本国土の6%にしかあたらない沖縄県に、日本全国の米軍施設の75%が集中しており、
広大な米軍基地は沖縄本島では19、3%の面積を占めています。復帰後も戦後からの米軍基地のほとんどが存続され、貴重な土地を奪われ地域の発展を妨げるだけでなく、環境問題の原因にもなっています。

北谷のアメリカンヴィレッジや那覇市のおもろ町は、基地返還跡の膨大な土地を再開発した例です。
しかしながら地域の真の発展を考える時、従来までの消費性を重んじた商業的開から、地域の特性を活かし文化・社会性に重点をおいたコミュニティ作りや町並み整備が重要になってきていると言えるでしょう。

「軍事基地を文化基地に!」 チャンプルー村は基地の返還跡地の新しい町づくりにも適しています。戦後から軍事基地の占領が続くこの島々。この地で、植民地的に行われた文化混合から脱皮し、自らの手で文化融合に発展させ地域に貢献していこうという決意は進歩的で、返還された土地の再出発にも絶好な構想といえます。「沖縄レキオチャンプルー村」は沖縄の発展はもとより、日本さらにアジアにとっても有意義であると確信します。

「沖縄レキオ・チャンプルー村」の目指すもの

大航海時代の先駆者であポルトガル人は海洋国家・琉球を「Lequio・レキオ」と呼びました。「チャンプルー」は琉球語で”混ぜ合わせる”という意味です。その両方をとってこのカルチャーエリアを「沖縄レキオ・チャンプルー村」と名付けました。

「チャンプルー村」は地元人と日系ラティーノを主流メンバーとし、生粋ラティーノ、日系・アジア系移民、など様々な背景を持つ沖縄・カリブ・南米好きな人々が交じえ、新しいアジアの行き先を意識して始動するコミュニティーです。

アジア太平洋とラテンアメリカの文化・経済交流の架け橋になりながら、沖縄経済の活性化に繋げること。マルチカルチャー、マルチリンガルの国際化にふさわしい人材を育てること。アジアにおける日本の新しい表情を造り出すこと。これら全てが「沖縄レキオ・チャンプルー村」の目指すものです。

 









   
 
BLOG
 
LINK

 

Okinawa Lequio Champloo Town Project (c) 2006