世界各地に離散し、故郷を離れてたくましく生きる移民たち。僕がこの留学で追いかけているのはとくにアジア系の日系移民と中国系移民です。
その中でマイノリティとしての厳しい歴史と経験を歩んできたのが、「日系」の中の沖縄県系人と、「華僑」の中の客家系家人だと言えます。彼らは一言で言ってしまえば「日系人」と「華僑」ですが、この二つの存在、一見違うように見えて実は似ているところがたくさんあるのです。
今日は、彼らの「助け合う心」、相互扶助の精神について。
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世界のウチナーンチュたちの故郷である沖縄。沖縄系移民と彼らの故郷とのつながりは非常に強く、戦前・戦後ともに彼らによる多くの送金によって、疲弊していた母県母村の経済は何度も危機を逃れてきました。
大正末期から昭和初期にかけては、「ソテツ地獄」と呼ばれるほど経済的に落ち込みが激しかった沖縄県。この時期、海外のウチナーンチュからの送金額は1923年(大正12年)で約86万円と記録されていますが、これは当時の県歳入総額の44.6%にも及びます。その後の数年間にわたり、沖縄県の経済は沖縄県出身移民に仕送りによって支えられました。
そして太平洋戦争でも日本唯一の地上戦で壊滅的な被害を受け、その後の米軍統治下でも深刻な物資不足に悩んでいた沖縄。これに対して、海外在住のウチナーンチュたちは救援団体を組織し、「戦災救援運動」と称して多くの救援物資を送りはじめます。この敗戦・占領による悲惨な時期にも、海外各地に散らばったウチナーンチュたちから沖縄へ温かい救援の手が差しのべられました。
と、ここまで書いたことは沖縄や世界のウチナーンチュへ関心のある方はご存知のことだろうと思います。そして、今回僕が試みたいのは、このような沖縄系移民の故郷への援助と、客家系華人による故郷への援助のあり方を比較することです。そして、それを現在世界に広まったウチナーンチュのネットワークと客家を中心とした華僑のネットワークを、沖縄の経済的自立ため、そして貧困にあえぐ客家の故郷の復興ために活かすということをできたらいいな、と考えています。
客家人はもちろん沖縄県系人とは違う歴史を歩んできますが、故郷や同胞が苦しんでいるとき、移民先で稼いだ自分の大切なお金を投げ打ってでも同胞に救いの手を差し伸べる、ということをこの数百年間、当然の事して行ってきました。これは沖縄と客家の大きな共通点だと思うのです。
西晋末の「永嘉の乱」から1700年間、古代中国の中心であった中原から逃れ、南へ移動し、そして数世紀のうちに世界各地へと移民した客家。今日では世界中の華僑の中でもリーダー的な役割を担うようになり、その結束力と行動力・経済力は全世界の注目を浴びています。
客家の故郷である江西省や福建省、広東省の農村では、長い間国民党・共産党の間で行われていた内戦(国共内戦)の戦場となり、甚大な被害を受け、これにより社会的、経済的発展は周辺地区よりも著しく遅れました。そんなとき、彼らを救ったのは海外に暮らす同胞の客家たちでした。海外の客家たちが荒廃した故郷に多額の送金をして、故郷の復興に大きく貢献しているのです。
ところで、客家の援助の方法について少し面白い話が。海外に出て成功した客家が故郷に錦を飾るとき、まずするのが「学校を一つ贈る」ことだそうです・・・・(!) これは客家人の特徴として、「子弟の教育を非常に重視する」という点が色濃く出ている援助の形と思います。
このように客家系華人は、自分が儲けたお金を、商売や自分の貯蓄に回すより、故郷への送金や、学校・体育館・図書館・公民館などのさまざまな施設を建設することに惜しまず使う傾向があります。
たとえば、毛沢東が主導した「文化大革命」で中国大陸が全国的に荒廃し、とくに客家居住区に多かった私立の学校で「知識教育」が全面的に否定された時代でも、海外からの客家の故郷への仕送りや学校建設は止まなかったというほどです。
そして1990年代から、鄧小平(彼も客家人)以来続けられてきた改革・開放政策の進展によって、中国の沿岸部にを設けた「経済特区」や、客家の出身県である広東省・福建省に、海外で成功した客家たちが莫大な投資を行っています。その結果、広東省と福建省は北京中央主導の共産主義体制の意向の範疇を超え、ものすごいスピードで発展し続けています。これは単に先ほど述べた客家の「相互扶助」としての役割ではなく、「市場」としての中国・利益の見込める投資という意味合いも含んだものです。
そしてそれだけでなく、多くの客家の故郷である中国の南方地帯には、今や対岸の台湾や香港をも巻きこみ、「華南経済圏」という事実上の独立した経済のテリトリーが姿を現しつつあります。台湾と中国・香港はそれぞれ政治的に異なる立場をとっていますが(とくに中国と台湾は互いに反発しあっていますが)、中国・台湾・香港にそれぞれ暮らす客家人たちが、イデオロギーにとらわれることなく、中国と台湾・香港をつなぎとめる役割を果たして来たのです。
そして今日ではその努力が報われ、中国・台湾両岸の人的・経済的・文化的交流が活発に進められています。そしてその時代の流れの中で、海外に暮らす客家系華人たちが、中国大陸の故郷へ莫大な支援と投資を続け、彼らの故郷はその援助をきっかけに復興・発展を遂げています。
このように、自分たちの故郷を想う心と同胞を大切にしようという気持ちは、客家人とウチナーンチュの大きな共通点だと思うのです。離れなければならなかった故郷への強い思慕と、移民先での強い結束力・相互扶助。これは同時にそれぞれが歩んできたマイノリティとしてのつらい歴史の裏返しでもあるのです。
故郷を離れ、世界に散らばった者たちが、故郷をしのんで集う場所。それは移民先での小さな「会館」や、「県人会」といった小さなものかもしれない。もしかしたら、「家族」という単位のもっともっと小さなものかもしれない。しかし、そのように集い、憩う場所はウチナーンチュにとってのれっきとしたもう一つの「オキナワ」であり、客家人にとっての「中原」でもあるのではないか、と思います。
そんな世界中の「複数の故郷」が、数年に一回実現する場所。みなさんがご存知の、「世界のウチナーンチュ大会」。そして、二年に一度開催される「世界客家大会」。
え!?客家大会?そんな大会があるの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの「世界客家大会」、ウチナーンチュ大会よりも先輩なんです。
もともと世界のウチナーンチュ大会は、その先駆けとなったWUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)という団体がユダヤ系・客家系のネットワークや会合をヒントにして提案したものが元になっているので、沖縄と客家が似ているということ、それはある意味当然のことかもしれません。
最近では、ボーダレスな国際化の時代に即して、沖縄県系人の世界的なネットワークが組織されるようになりました。きっかけはやはり、1990年(平成2年)に沖縄県で開かれた「第1回世界のウチナーンチュ大会」でした。17カ国から約2,400人もの沖縄県系移民が一堂に会して、県民と多角的な国際交流をおこなうというものです。1995年(平成7)の第2回大会には25カ国から約3,800人が参加がありました。そして2、3世のジュニア・サミットなどもおこなわれ、回を重ねるごとに交流の輪は大きく広がっています。
そして将来の沖縄にとって非常に有望な団体として取り上げたいのが、先ほど書きましたWUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)という団体です。WUBは非営利団体として1997年(平成9年)9月にハワイで結成され、2年間でハワイ・ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・ペルー・北米・東京・香港・沖縄の9支部が設置されました。WUBは世界のウチナーンチュを中心にネットワークを形成することにより、ビジネス・文化・教育交流と相互の親睦を図ることなどを目的とするもので、とくに世界各国で活躍する県系人の人脈を生かし、沖縄にこだわったベンチャービジネスを展開することを支援しています。
そしてもう一つ将来の沖縄にとって有望な団体があります。世界各地にある「崇正会」。と呼ばれるものです。これは客家の「県人会」的な集まりで、さまざまな形の相互扶助を行っている団体です。日本には東京・大阪・沖縄にあり、日本国内に暮らす客家の方たちの憩いの場ともなっています。この崇正会が中心となって、客家と沖縄の相互交流が進んでいるのです。
沖縄は、日本の国境ラインの中にありながらも独自の地理的なアドバンテージを持っています。それは、中国文化を日本にもたらしてきた沖縄の歴史を見れば一目瞭然です。そして沖縄は今、台湾・中国・との地理的・歴史的な交流を取り戻し、「環東シナ海経済圏」として発展しつつあります。そして、近いうちに世界の客家たちが鍵を握る「華南経済圏」へと合流する可能性もあるのではないでしょうか?
もしある日、経済的な実力を持った客家人が沖縄を訪れ、その魅力を充分に理解してくれたならば・・・・それはきっと遠い夢ではなくなることでしょう。そしてそれは沖縄にとってのよい未来へと必ずつながると確信しています。
時代は今、ディアスポラから希望へ。
苦しい歴史を超え、世界に散らばったウチナーンチュと客家人たち。異国で助け合い支えあって生きてきた彼らが、言語の違いやイデオロギーの対立を超え、一つの「場所」へ合流する。それは今、ただの夢ではなく、現実となりつつあるのです。
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ブラジル サンパウロ市にあるリベルダージ。”日本人街”と呼ばれていたこの区域は、近年ではコリアンやチャイニーズも加わり“東洋人街”に変貌・・・!

客家の町・・・

琉球王国という交易国家として栄えた沖縄の位置ーー日本地図と端っこですがこうやって見ると・・・
なか:プロフィール
祖父が沖縄・宜野座村、祖母は大宜味、僕は埼玉、所沢生まれのウチナー3世、現在ブラジルに留学中。 名前が三文字なので、よく中国・台湾系?と間違えられる。外国語大学で中国語を勉強していましたが、そこでブラジル音楽にドップリはまり路線変更。中南米うちなーんちゅについて勉強することに。サンパウロに到着後、海外で活躍する客家(ハッカ)とウチナーンチュたちに深く感銘を受ける。ここ3年は浅草カーニバルにも打楽器隊の指揮者や弦楽器の奏者として出場。日本のサンバを応援します◎