2008年05月24日

女たちのブラジル移住史

みなさーん!!
ご無沙汰しております。ブラジル在住のAyumiです♪

最近、私の住む街Belo Horizonte市は、朝晩めっきり冷え込むようになりました。もうすぐ冬到来!
ブラジルというと、「年がら年中暑い」というイメージがあるようで、「冬にはダウンジャケットを着るのよ!」といっても、日本のAmigoたちに信じてもらえないんですが、北部や北東部を除く地域では、冬もしっかり(?)冷え込みます。
特に南部なんかは、日本の冬なみに寒くなるらしいです!ところで、うちなーんちゅのオットに聞いた話ですが、沖縄の冬ってマフラーすら要らないって本当ですか??私、寒さが天敵なので、そんな沖縄に早く舞い戻りたくなりました・・・。

さて、今回は、一冊の本を皆様にご紹介しようと思います。
『女たちのブラジル移住史』監修:日下野良武
この本では、実際にブラジルに移住された、さまざまな世代の6人の女性の手記が紹介されています。その6人の女性とは小野政子さん(85)、中田みちよさん(66)、斎藤早百合さん(75)、土田町枝さん(83)、大槻京子さん(60)、松本純子さん(42)。現在もブラジルにおられる方々です。


移民の歴史って、私はそれまで、「年表」に書かれたような、味気ない事実ばかりをなんとなく知っているだけで、その裏側にある移民の方々の苦労だの、困難だの、あまり考えたこともありませんでした。反省。
その分、この本を読んだときの衝撃はスゴかったです。
一言で言えば「壮絶」!!それしか言葉が出てこないほど!例えば最初に書かれた小野政子さん。幼い頃に両親に連れられ移住するも、極貧の生活の中、学校も行けずにキツイ労働ばかり。そんな生活を悲観して、大切な妹が自殺、その後も待ち受ける苦難の数々・・・
「私だったら絶対無理ムリ~!!」と思わずにはいられない、そんな女性達の苦労を知り、正直自分の甘さに深く反省・・・。
私の住んでいるところも、日本に比べたら不便で、例えば大雨が降るたびに停電し、管理人さんがケチって水道の元栓を閉めてしまったりするけど、でも電気や水道管自体がない町よりはマシと思うことにします!!!

移民の方々の、「本当の歴史」を知りたい方、是非読んでみてください。
読んで、何かを感じていただけると思います。

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2008年04月29日

4月22日はアースデイ。地球の環境について考えようという日です。全国でいろいろなイベントが開催されているので、ニュース等で知っている方も多いと思 います。知らなかったあなた、今からでも遅くありません。子どもたちに綺麗な自然を残してあげるために、身の回りでできることを探してみて下さい。

沖縄O.C.E.A.N.は、この日に沖縄県糸満市にある大度海岸で行われたビーチクリーンをコーディネートし、クリーンアップにも参加しまし た。大度海岸は数種類のウミガメの産卵場所として知られている、砂浜の綺麗な海岸です。地元の人が毎日犬の散歩がてら海浜清掃を行うので、ゴミはほとんど 見当たりません。

しかし現在は、昨年の台風が運んできた大量の岩や古いサンゴ岩が砂浜を埋め尽くしていて、ウミガメが砂浜に上がってこれない砂浜になっています。地元の人々の手で、少しずつ岩を一箇所に集めているけれど、とても除去できない状態です。


これらの岩は、コンクリート破片のようなものやサンゴ岩など。小さいものから2人で運ぶのがやっとという大きなものもあります。


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ウミガメを愛する地元の人々の手だけではとても岩を片付けきれず、どうしようかと悩んでいたところ、それを知った嘉手納基地の空軍に所属する若者10人が、ぜひ岩を片付ける手伝いをしたいと名乗り出てくれたので、アースデイ(4月22日)に除去活動を開始しました。

前日の天気予報では曇りのち雨。しかし、やはり天気予報の当たらない沖縄。朝起きると晴れ。蒸し暑くなりそうな予感を感じながら、朝9時に集合。空軍ボランティアたちは既に集まっていて、手伝いに来た地元の人4人と一緒に除去活動を始めていました。

写真を見てもらえるとわかると思いますが、さすがは軍隊。リーダーの指示によって、全員が1列に並んで岩をリレー方式で次々を手渡していきま す。細腕の女の子もいましたが、見かけによらず彼女もとっても力持ち!そして筋肉隆々の男性たちは、気温が上がってきたので途中からトップレス(?)にな り、弱音を吐くどころか時々冗談など言いながらいかにも楽しそうに作業をすすめていました。

朝9時から午後3時頃まで、炎天下の下除去活動をしてくれた彼らに大きな拍手!!

今年は産卵に来るウミガメが増えることを期待します。5月頃からやって来るそうです。見に来る方は、大きな音を立てず、そして明かりも消して下さい。産卵を始めたら写真を撮ってもOKですが、なるべくフラッシュは控えてください。

ちなみに、この海岸ではまだまだ岩を除去する必要があります。ボランティアをしたいという方、info@okinawaocean.orgまでぜひご連絡を!

実は、このボランティア活動を知った友人(外国人)が、こんな苦言を私たちに言ったのでした。

「南部には、アメリカ人を連れて行かない方がいい。南部は戦争が一番激しかったところで、アメリカ人に対して強い恨みを持っている人たちがたくさんいる。彼らを尊重するなら、アメリカ人は絶対に連れて行くべきではない。」

気持ちはわかります。でも、アメリカ人の全員が悪い人たちではない。今回のボランティアたちも、沖縄の人と自然が大好きで、普段沖縄にお世話に なっているから、そのお礼として何かしたいという気持ちで参加してくれました。平和の架け橋になろうとしている彼らを、アメリカ人だからという理由で拒否 してしまっていいものか。

この間News23で韓国の大統領が言っていた言葉を思い出します。正確ではありませんが、このようなことを言っていました。「私達は過去を変えることはできないが、未来に向かって共に手を取り合って進むことはできます。これからは、そうした態度が必要なのです。」

ビーチクリーンって、単なる海浜清掃活動ではないんですよ。ビーチクリーンを通して、平和を考えることにもなるんです。

きやすけ: プロフィール
沖縄生まれ北海道育ちのウチナーンチュ。
各地を経て現在生まれ故郷の沖縄に戻る。

2007年12月04日

新しいステージへ!

- 沖縄系ブラジル人子弟たちによる琉舞・髪結いの舞台 - 


玉城流扇寿会斉藤悟琉舞道場・小波流きからじ結い研究所(斉藤悟主宰)のおさらい会「島想てぃ遊ば」が、ブラジル沖縄県人会館大ホールで、2007年11月25日、午後四時から開催されました。


本番は600人を超える観客がつめかけ、立ち見が出るほどの盛況ぶり。サンパウロの邦字紙やブラジル沖縄県人会の関係者からは、多くの賞賛の言葉をもらい、非常に高い評価を受けています。自分も微力ながらこのおさらい会「島想てぃ遊ば」に参加させていただき、非常に光栄でした。


今日は、このおさらい会「島想てぃ遊ば」に参加した、斉藤悟の友人である一人の日本人留学生の立場から、このおさらい会「島想てぃ遊ば」の思い出を振り返りたいと思います。


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ブラジル・サンパウロ生まれの琉舞の天才、斉藤悟に初めて会ったのは今年2007年の5月でした。僕のサンパウロ留学が始まったばかりのころ、沖縄県人会の琉球民謡コンクールの楽屋で彼に声をかけてもらった時のことをよく覚えています。


サンパウロで知り合った沖縄出身の方と、日本人の方に連れられて楽屋に入り、彼を紹介してもらいました。沖縄への留学から帰ってきたばかりの斉藤悟くん、一見ブラジル人には見えない日本の若者のようなおしゃれな格好をしていたのが鮮明に記憶にあります。


「うちなーんちゅですか?」


この言葉に、一瞬戸惑いながらも、僕は自分の出自について話をしました。彼はここサンパウロでの沖縄文化の大きな担い手であることは前から知っていたので、彼のような人物に出会えたことへの嬉しい気持ちと同時に、沖縄の芸能や文化についてほとんど何も知らなかった自分が、彼に対して少し後ろめたいような、恥ずかしい気持ちもありました。


それから何回か、彼と食事をしたり、彼の家に遊びに行くようになりました。そんなとき、彼からこの「おさらい会」の企画・運営に参加してみないか、との誘いがあり、自分は二つ返事でOKしたのです。


当初この「おさらい会」という言葉からは、本番よりももっとこじんまりした、小さな規模の舞踊公演を想像していたのですが、準備段階でブラジル沖縄県人会側からの大きな期待お要望があり、県人会館の大ホールで開催することになりました。


これは関係者・スタッフや舞踊の生徒さん、そして悟自身にとっても大きなプレッシャーであったと思います。教室を始めて間もない段階で、生徒と共に大きな舞台に立つこと。それは並大抵のことではなかったと思います。しかし、「大きな舞台でやるからには、絶対に成功させたい!」という気持ちが、全員の共通意識として沸き起こってきたのも事実です。とくに後半は、悟や生徒さんたちが中心となって、そんな気持ちを共有しながら、着々と準備を進めていました。


僕は日本語のナレーション、脚本、プログラムの作成、日本語訳のチェックなどに関わっていたのですが、本番直前の数週間はほぼ毎日、悟の家(自宅兼舞踊道場・髪結い研究所になっている)に泊まりっきりで、ずっとプログラムの内容や、舞台の演出を練っていました。


僕たちスタッフは、斉藤悟が沖縄への県費留学時代に見てきたもの、感じてきたもの、そして彼の口から出てくるアイデアやイメージ、そして彼の持つビジョンを、極力再現できるように何度も打ち合わせを重ねました。ブラジルで固定化してきた伝統的なやり方を変え、斬新な演出を考え出そうと、数々の新たな展開を試みようとしました。


沖縄から持ち帰ってきたたくさんのプログラム・ビデオ・DVDを見ながら演出を考え、そして悟がお世話になった沖縄の先生たちから送られてきたメッセージ・激励の言葉を糧に、この公演のプログラムを作りました。


忙しい準備に一喜一憂しながら、何度も徹夜を重ねてやっとできた舞踊の演出、プログラム。直後に迫った本番を夢見ながら、悟の家の小さなソファで雑魚寝をし、最後の仮眠をとりました。


・・・そんな自分たちをずっと支えてきてくれたのは、準備のために家にお邪魔していた時に、いつもいつも優しく接してくれた悟のおば〜、おじ〜、両親、妹さん、そしてご近所の一世のおば〜たちでした。


実は一番僕の印象に残っている時間は、リハーサルや音響の録音の時に、いつも差し入れを準備してくれる一世のおば〜たちに囲まれて、簡単なうちなーぐちを教えてもらったり、ポルトガル語や日本語・うちなーぐちを混ぜながらゆんたくしている時間でした。


そんな心休まる時間や、自分たちを支えてくれる人たちがいなかったら、このおさらい会「島想てぃ遊ば」は実現できなかったでしょう。


実は僕、一人の日本人留学生として、この公演のパンフレットの一部に記事を書かせてもらうことなりまして、そんな感謝の気持ちを「おさらい会について」という文章にまとめ、言葉を寄せました。ある意味、スタッフとしての自分の役割はここでほとんど終わっていたのかも・・・・。


・・・そして、待ちに待った本番。僕は疲れがピークに達していて、実はあまり記憶がありません。苦笑


そして、次に記憶にあるのは、本番終了後の特別出演の先生方、そしてお世話になった悟の御家族への、悟自身からの花束の贈呈の時です。一人一人に花束を渡しながら、アブラッソ(抱擁)していく途中で、悟は感極まって涙を流しました。そのとき、会場は雰囲気は一体になったのを感じました。自分もこの光景をすぐそばから見ていて、強く心を動かされたのを覚えています。


このとき、近年ブラジルでの琉球芸能の隆盛を影で支えてきた、沖縄系の人たちの、「人と人の結びつきの強さ」というものを、本当に強く感じたのです。


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そして、本番終了後。いろいろな人から「ナレーションよかったよ!」と声をかけてもらいました。


留学が始まってから半年間、悟やみんなとコツコツ進めてきた準備が、本当にあっという間に終わってしまって・・・達成感や充実感もあり、放心状態でもあり・・・。


とにかく、一瞬にして「腑抜け」になってしまった自分。笑


もう一度、このおさらい会「島想てぃ遊ば」に託したテーマを載せて、この記事を終わりたいと思います。ここまで読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。


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『島想てぃ遊ば』


沖縄の方言で「島」とは、出身地や生まれ育った地域、故郷(ふるさと)の事。


沖縄とブラジルはこんなにも離れていますが、「島」を愛する気持ちは誰もが同じだと思います。


あなたの故郷にがじゅまるの木はありますか?


あなたの故郷にキレイな海はありますか?


あなたの故郷に大切な人はいますか?


あなたの「島」はどこですか?


・・・それぞれの「島」を思い、歌い、踊り、この時をともに楽しみましょう!

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なか:プロフィール
祖父が沖縄・宜野座村、祖母は大宜味、僕は埼玉、所沢生まれのウチナー3世、現在ブラジルに留学中。 名前が三文字なので、よく中国・台湾系?と間違えられる。外国語大学で中国語を勉強していましたが、そこでブラジル音楽にドップリはまり路線変更。中南米うちなーんちゅについて勉強することに。サンパウロに到着後、海外で活躍する客家(ハッカ)とウチナーンチュたちに深く感銘を受ける。ここ3年は浅草カーニバルにも打楽器隊の指揮者や弦楽器の奏者として出場。日本のサンバを応援します◎

2007年09月16日

サッカーの試合!

みなさーん!

ご無沙汰しております。
Brasil在住Ayumiです。


こちらは、季節でいいますと一応今は「冬」
なんですが、はっきり言って
暑い!
ですよ。

日中は30度〜34度ぐらいになり、
タンクトップで歩いても汗がダラダラでます。


Ayumiと夫の住むBeloHorizonteという街は
高原地帯でして、
朝晩はかなり冷えます。

だから一日で冬→夏を繰り返す、不思議な気候です。


さて、去る日曜日に、友人夫妻に誘われて
サッカー観戦してまいりました。

夫はサッカー大好き人間!なのでウキウキでしたが
Ayumiは、ルールはだいたいわかるもの、
「玉蹴りなんぞ観てなにがオモロイのかしらん」
ぐらいに思ったわけです。


でも、約2年ぶりにサッカー観戦をするとあって、
当日はノリノリで行って来ました!

場所はMineiraoという愛称の、
ブラジルで3番目に大きいサッカー場です。

今回は
Rio de Janeiroが拠点のフルミネンセというチームと、
ここBeloHorizonteは拠点のクルゼイロというチームの試合。

勿論、ホームであるクルゼイロのファンがほぼ99%というなか、
友人夫婦の夫のほうがリオ出身ということで、

なんとアウェイ席に座るハメに・・・・


フルミネンセのサポーター、多く見積もっても100人。
対するクルゼイロのサポーター、少なく見積もって1万人。


すでに弱気・・・・


試合開始後は、サポーターの熱気に呑まれて
あっという間の1時間半でした。


ブラジルのサポーターはすごいです。
怒鳴るし叫ぶし飛ぶし歌うしキレるし・・・・


実はここの球技場、以前は場内でビールを飲めたんですが、

あまりにサポーター同士のケンカが多く発生するために
アルコールの販売、飲酒が禁止されました。

それだけ激しいんですねー、サポーター!!


試合もおもしろかったけど、
私が気に入ったのは、
球場内でしか買えない、レアな名物
「Feijao Tropeiro」です。
ここの地域の料理の一つなんですが、
この球場内で売られている「Feijao Tropeiro」は
美味しいと評判!
豆と、マンジョッカ芋の粉末、ベーコン、野菜で作られています。

本当に美味しかったです♪♪

また行ってもいいかなーと思いました。
ただし次回はホームの試合がいいな・・・・

写真は、試合時の球場内、それから名物の
「Feijao Tropeiro」です!!
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AYUMI:プロフィール
音楽と美味なものが好きな静岡出身26歳。
ブラジル在住もうすぐ三年。
訪沖歴は五回
うちなーんちゅのペット、もとい恋人と生活中。
沖縄もブラジルも人があったかくて大好き!

2007年08月31日

客家と沖縄(2)

世界各地に離散し、故郷を離れてたくましく生きる移民たち。僕がこの留学で追いかけているのはとくにアジア系の日系移民と中国系移民です。


その中でマイノリティとしての厳しい歴史と経験を歩んできたのが、「日系」の中の沖縄県系人と、「華僑」の中の客家系家人だと言えます。彼らは一言で言ってしまえば「日系人」と「華僑」ですが、この二つの存在、一見違うように見えて実は似ているところがたくさんあるのです。


今日は、彼らの「助け合う心」、相互扶助の精神について。


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世界のウチナーンチュたちの故郷である沖縄。沖縄系移民と彼らの故郷とのつながりは非常に強く、戦前・戦後ともに彼らによる多くの送金によって、疲弊していた母県母村の経済は何度も危機を逃れてきました。


大正末期から昭和初期にかけては、「ソテツ地獄」と呼ばれるほど経済的に落ち込みが激しかった沖縄県。この時期、海外のウチナーンチュからの送金額は1923年(大正12年)で約86万円と記録されていますが、これは当時の県歳入総額の44.6%にも及びます。その後の数年間にわたり、沖縄県の経済は沖縄県出身移民に仕送りによって支えられました。


そして太平洋戦争でも日本唯一の地上戦で壊滅的な被害を受け、その後の米軍統治下でも深刻な物資不足に悩んでいた沖縄。これに対して、海外在住のウチナーンチュたちは救援団体を組織し、「戦災救援運動」と称して多くの救援物資を送りはじめます。この敗戦・占領による悲惨な時期にも、海外各地に散らばったウチナーンチュたちから沖縄へ温かい救援の手が差しのべられました。


と、ここまで書いたことは沖縄や世界のウチナーンチュへ関心のある方はご存知のことだろうと思います。そして、今回僕が試みたいのは、このような沖縄系移民の故郷への援助と、客家系華人による故郷への援助のあり方を比較することです。そして、それを現在世界に広まったウチナーンチュのネットワークと客家を中心とした華僑のネットワークを、沖縄の経済的自立ため、そして貧困にあえぐ客家の故郷の復興ために活かすということをできたらいいな、と考えています。


客家人はもちろん沖縄県系人とは違う歴史を歩んできますが、故郷や同胞が苦しんでいるとき、移民先で稼いだ自分の大切なお金を投げ打ってでも同胞に救いの手を差し伸べる、ということをこの数百年間、当然の事して行ってきました。これは沖縄と客家の大きな共通点だと思うのです。


西晋末の「永嘉の乱」から1700年間、古代中国の中心であった中原から逃れ、南へ移動し、そして数世紀のうちに世界各地へと移民した客家。今日では世界中の華僑の中でもリーダー的な役割を担うようになり、その結束力と行動力・経済力は全世界の注目を浴びています。 


客家の故郷である江西省や福建省、広東省の農村では、長い間国民党・共産党の間で行われていた内戦(国共内戦)の戦場となり、甚大な被害を受け、これにより社会的、経済的発展は周辺地区よりも著しく遅れました。そんなとき、彼らを救ったのは海外に暮らす同胞の客家たちでした。海外の客家たちが荒廃した故郷に多額の送金をして、故郷の復興に大きく貢献しているのです。


ところで、客家の援助の方法について少し面白い話が。海外に出て成功した客家が故郷に錦を飾るとき、まずするのが「学校を一つ贈る」ことだそうです・・・・(!) これは客家人の特徴として、「子弟の教育を非常に重視する」という点が色濃く出ている援助の形と思います。


このように客家系華人は、自分が儲けたお金を、商売や自分の貯蓄に回すより、故郷への送金や、学校・体育館・図書館・公民館などのさまざまな施設を建設することに惜しまず使う傾向があります。


たとえば、毛沢東が主導した「文化大革命」で中国大陸が全国的に荒廃し、とくに客家居住区に多かった私立の学校で「知識教育」が全面的に否定された時代でも、海外からの客家の故郷への仕送りや学校建設は止まなかったというほどです。


そして1990年代から、鄧小平(彼も客家人)以来続けられてきた改革・開放政策の進展によって、中国の沿岸部にを設けた「経済特区」や、客家の出身県である広東省・福建省に、海外で成功した客家たちが莫大な投資を行っています。その結果、広東省と福建省は北京中央主導の共産主義体制の意向の範疇を超え、ものすごいスピードで発展し続けています。これは単に先ほど述べた客家の「相互扶助」としての役割ではなく、「市場」としての中国・利益の見込める投資という意味合いも含んだものです。


そしてそれだけでなく、多くの客家の故郷である中国の南方地帯には、今や対岸の台湾や香港をも巻きこみ、「華南経済圏」という事実上の独立した経済のテリトリーが姿を現しつつあります。台湾と中国・香港はそれぞれ政治的に異なる立場をとっていますが(とくに中国と台湾は互いに反発しあっていますが)、中国・台湾・香港にそれぞれ暮らす客家人たちが、イデオロギーにとらわれることなく、中国と台湾・香港をつなぎとめる役割を果たして来たのです。


そして今日ではその努力が報われ、中国・台湾両岸の人的・経済的・文化的交流が活発に進められています。そしてその時代の流れの中で、海外に暮らす客家系華人たちが、中国大陸の故郷へ莫大な支援と投資を続け、彼らの故郷はその援助をきっかけに復興・発展を遂げています。


このように、自分たちの故郷を想う心と同胞を大切にしようという気持ちは、客家人とウチナーンチュの大きな共通点だと思うのです。離れなければならなかった故郷への強い思慕と、移民先での強い結束力・相互扶助。これは同時にそれぞれが歩んできたマイノリティとしてのつらい歴史の裏返しでもあるのです。


故郷を離れ、世界に散らばった者たちが、故郷をしのんで集う場所。それは移民先での小さな「会館」や、「県人会」といった小さなものかもしれない。もしかしたら、「家族」という単位のもっともっと小さなものかもしれない。しかし、そのように集い、憩う場所はウチナーンチュにとってのれっきとしたもう一つの「オキナワ」であり、客家人にとっての「中原」でもあるのではないか、と思います。


そんな世界中の「複数の故郷」が、数年に一回実現する場所。みなさんがご存知の、「世界のウチナーンチュ大会」。そして、二年に一度開催される「世界客家大会」。


え!?客家大会?そんな大会があるの?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの「世界客家大会」、ウチナーンチュ大会よりも先輩なんです。


もともと世界のウチナーンチュ大会は、その先駆けとなったWUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)という団体がユダヤ系・客家系のネットワークや会合をヒントにして提案したものが元になっているので、沖縄と客家が似ているということ、それはある意味当然のことかもしれません。


最近では、ボーダレスな国際化の時代に即して、沖縄県系人の世界的なネットワークが組織されるようになりました。きっかけはやはり、1990年(平成2年)に沖縄県で開かれた「第1回世界のウチナーンチュ大会」でした。17カ国から約2,400人もの沖縄県系移民が一堂に会して、県民と多角的な国際交流をおこなうというものです。1995年(平成7)の第2回大会には25カ国から約3,800人が参加がありました。そして2、3世のジュニア・サミットなどもおこなわれ、回を重ねるごとに交流の輪は大きく広がっています。


そして将来の沖縄にとって非常に有望な団体として取り上げたいのが、先ほど書きましたWUB(ワールドワイド・ウチナーンチュ・ビジネス・アソシエーション)という団体です。WUBは非営利団体として1997年(平成9年)9月にハワイで結成され、2年間でハワイ・ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・ペルー・北米・東京・香港・沖縄の9支部が設置されました。WUBは世界のウチナーンチュを中心にネットワークを形成することにより、ビジネス・文化・教育交流と相互の親睦を図ることなどを目的とするもので、とくに世界各国で活躍する県系人の人脈を生かし、沖縄にこだわったベンチャービジネスを展開することを支援しています。

そしてもう一つ将来の沖縄にとって有望な団体があります。世界各地にある「崇正会」。と呼ばれるものです。これは客家の「県人会」的な集まりで、さまざまな形の相互扶助を行っている団体です。日本には東京・大阪・沖縄にあり、日本国内に暮らす客家の方たちの憩いの場ともなっています。この崇正会が中心となって、客家と沖縄の相互交流が進んでいるのです。


沖縄は、日本の国境ラインの中にありながらも独自の地理的なアドバンテージを持っています。それは、中国文化を日本にもたらしてきた沖縄の歴史を見れば一目瞭然です。そして沖縄は今、台湾・中国・との地理的・歴史的な交流を取り戻し、「環東シナ海経済圏」として発展しつつあります。そして、近いうちに世界の客家たちが鍵を握る「華南経済圏」へと合流する可能性もあるのではないでしょうか?


もしある日、経済的な実力を持った客家人が沖縄を訪れ、その魅力を充分に理解してくれたならば・・・・それはきっと遠い夢ではなくなることでしょう。そしてそれは沖縄にとってのよい未来へと必ずつながると確信しています。


時代は今、ディアスポラから希望へ。


苦しい歴史を超え、世界に散らばったウチナーンチュと客家人たち。異国で助け合い支えあって生きてきた彼らが、言語の違いやイデオロギーの対立を超え、一つの「場所」へ合流する。それは今、ただの夢ではなく、現実となりつつあるのです。


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ブラジル サンパウロ市にあるリベルダージ。”日本人街”と呼ばれていたこの区域は、近年ではコリアンやチャイニーズも加わり“東洋人街”に変貌・・・!

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客家の町・・・

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琉球王国という交易国家として栄えた沖縄の位置ーー日本地図と端っこですがこうやって見ると・・・


なか:プロフィール
祖父が沖縄・宜野座村、祖母は大宜味、僕は埼玉、所沢生まれのウチナー3世、現在ブラジルに留学中。 名前が三文字なので、よく中国・台湾系?と間違えられる。外国語大学で中国語を勉強していましたが、そこでブラジル音楽にドップリはまり路線変更。中南米うちなーんちゅについて勉強することに。サンパウロに到着後、海外で活躍する客家(ハッカ)とウチナーンチュたちに深く感銘を受ける。ここ3年は浅草カーニバルにも打楽器隊の指揮者や弦楽器の奏者として出場。日本のサンバを応援します◎



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