沖縄と客家① ことば編
世界各地に離散し、故郷を離れて生きる人たち。沖縄・客家・ユダヤ。
その中でもとくにアジア系の客家と沖縄にターゲットをしぼり、客家系華人と沖縄県系人のコミュニティのあり方、ネットワーク、彼らのアイデンティティと伝統文化継承への取り組みなど・・・・それぞれの共通点と相違点を考え、互いの将来に向けてのよい連帯関係に向けての提案をする・・・
しばらく自分の勉強ではこのテーマを貫いていこうと思います。
今日は、客家人とうちなーんちゅのひとつの大きな共通点でもある「ことば」について。

客家の言葉である客家語は、中国語の方言の中のひとつ。
現在多くの人が中国語として学習している共通語は、普通話(プートンホァ)とよばれる、北京の言葉をもとしたもの。その他の大きな方言には、上海語や、福建語、香港や広州で話されている広東語などがあります。
方言といっても、中国はデカい。それぞれの地方の言葉で話し出したら、意思疎通はかなり難しいのが実態です。これは日本の「方言」の規模や感覚では計れないもので、僕の個人的な感想からすれば、中国のそれぞれの地方にある方言は、互いに全く違う言葉ですから、地方が違えば国が違うようなもので、よその地方のおしゃべ りはほとんど何を言ってるのかわからない・・・・。それはきっと方言という枠を超えて、「外国語」とも呼べるくらいの感覚なんじゃないでしょうか。
しかし、幸いどの地方の言葉も漢字を使って表記できるため、全部をひとくくりにして「中国語」というカテゴライズができてしまう・・・・。そのため一応それぞれ全部が「中国語」ということになっているというわけですね。客家の言葉、「客家語」もそんな大きな中国の方言のひとつとしてカウントされています。
清代から中国政治の中心であった北京。南洋に面し、海外貿易、文化・経済の窓口として莫大な富を築いてきた香港。それぞれ遠く離れた場所であり、北京であれば北京語、香港であれば広東語が日常的に用いられています。
北京語の話者であれば、広東語を習得するのは大変。広東語を母語にする人も同様に、北京語を完璧に習得するのにはかなりの労力が必要とされます。そのため、中国の国内の移動であっても、彼らは言語の壁を目の当たりにするわけです。
特に田舎から出てきた人たちは、その都会の言葉を流暢に話せないと、生き残っていけない。中国全土の共通語として、普通話あるとはいえ、中国の人民全てが流暢に話せるわけではない・・・・という言語の違いにまつわる実態が、中国の中でもひとつの大きな障害となっているのは事実でしょう。
ところで、客家語とは、古代中国の政治の中心であった中原という地方で話されていた言葉がそのまま残ってできたと言われています。これは、沖縄の方言であるうちなーぐちが、文法的に日本の古語をベースにしているのと非常に似ていると言えますね。
そして、中世以後、彼ら客家は戦乱を逃れて中国を南下し、その後華僑として海外に離散していったのです。しかしその後も各地で客家のコミュニティを作り、その中で集団でまとまって暮らすことによって自分たち独自の言葉を守ってきました。これも、うちなーんちゅが本土や海外の移民先でも強い結びつきを持ったコミュニテ ィの中でうちなーぐちを話し、自分たちの言葉を守ってきたという点に非常に似ているといえます。
客家語は北京語と広東語の中間の特徴を持っているといわれます。そのため、客家出身の者は、政治での中心である北京、そして経済の中心である香港、どちらの地方の言葉の習得も比較的簡単に習得できたそうです。だから客家出身の人には、政治や経済、軍事、教育分野での重要人物が多いんですね!(たとえば、孫文やその妻 の宋慶齢、小平、中華民国の元総統・李登輝、シンガポールのゴー・チョクトン、リー・クァンユーなど・・・・政界だけを見てもかなりの重要人物たちばかり!)
それに対して、本土の「標準語」と大きく異なるうちなーぐちは、逆に成功への障害となりました。うちなーぐちを母語とすることは、沖縄出身者の本土の政界・財界・学会への進出を難しいものにしたとも言えます。本土でも、移民先でも、そして故郷である沖縄でさえも、先人のうちなーんちゅ達は日本語とうちなーぐちとの言 葉の壁で苦しみました。彼らの言葉、うちなーぐちがヤマトゥンチュとの意思疎通をより難しいものにし、彼らの生活をより厳しいものにしていたことは事実です。
この点が、客家と沖縄の言葉をめぐる一番の違いなのではないかと思います。
現在ではテレビを中心にしたメディアの普及により、中国でも日本でも全国的に「共通語」が普及しました。いまや国民の間で「国語」や「共通語」での意思疎通は何も難しいことではありません。しかし、同時に方言や地方独自の言葉が失われつつあるのも事実です。
客家人の中でも、客家語を話せないという人が増えていると聞きます。これは沖縄の若者が古いうちなーぐちを話せなくなっているのと同じでしょう。メディアが発達し、テレビの影響で全国的に広まった「うちなーやまとぅぐち」が主流になる一方で、海外の沖縄県人会や海外の客家コミュニティは、より昔の形に近い自分達の言 葉を残そうとする動きを見せています。客家語検定や、うちなーぐちのスピーチコンテストなどがそれです。
「言葉は時代の生き物」 と言いますが、時代の流れに乗って、新しく生まれてくるもの、そして失われていくもの・・・・それを「ことば」がわかりやすく表しているのかもしれません。
これはこの前のリオ滞在のある日の夕方に、『旅の指差し会話手帳 うちなーぐち編』を、沖縄系2世のおばぁと一緒に読んでいたときのこと。
僕はそのおばぁに「うちなーぐちわかる?」と聞かれ、「わからない!」と自信満々に答えたのです。笑
そしたらこんなことを言われました。
「あんたはうちなーぐちをしゃべらんかもしれないが、あんたのおじぃとおばぁはしゃべってたはずだよ。」
僕は祖父母の記憶がほとんどないので、うちなーぐちは全然わかりません。でも、この考えてみれば当たり前のことば、それをこの僕にかけてもらったとき、何かが自分の中で変わりました。
うちなーぐちを、完璧に話せるようになりたいとは思わないし、客家語も完璧にマスターしようと思わない。
でも、その話者に対して敬意を持って接したり、自分が話せない「自分達のことば」をその子孫として想うこと、いつくしむこと。そんな大事な事に気づかされた貴重な一言でした。
なか:プロフィール
祖父が沖縄・宜野座村、祖母は大宜味、僕は埼玉、所沢生まれのウチナー3世、現在ブラジルに留学中。 名前が三文字なので、よく中国・台湾系?と間違えられる。外国語大学で中国語を勉強していましたが、そこでブラジル音楽にドップリはまり路線変更。中南米うちなーんちゅについて勉強することに。サンパウロに到着後、海外で活躍する客家(ハッカ)とウチナーンチュたちに深く感銘を受ける。ここ3年は浅草カーニバルにも打楽器隊の指揮者や弦楽器の奏者として出場。日本のサンバを応援します◎

